再セットアップ2015/06/19 12:20

 12日の自動アップデートの結果、パソコンが起動しなくなってしまった。
 自動修復などという画面が出たので、これをやれば大丈夫かと思ったら、これがダメ。何度試しても起動しない。
 リフレッシュなどの選択画面も出たが、やはりダメ。
 仕方なく再セットアップに踏み切った。

 本来の予定では夏にWindows10 がでたら、金を出して買ってでも、Windows10 のクリーンインストールだったのだが、まさか、それまで1ヵ月というところで壊れてしまうとは。

 僕はWindows7普通版のOSとWindows8のアップグレード版のOSを持っているのだが、以前に再セットアップしたときには、Windows7を入れた後、Windows8のDVDを入れると、Windows7の更新ファイルを入れてからにしろとでた。
 インターネットで更新ファイルをダウンロードすること数時間、ようやくWindows8 が入れられたのだが、このDVDも初期のもので、さらにWindows8.1 にしようとすると、また、Windows8 の更新ファイルを先に入れろとでる。
 これがまた数時間。

 結局、OSを入れるだけで1日かかってしまった。

 これではパソコンの中は変なファイルでめちゃくちゃになる。

 再セットアップをしなければいけない以上、今回はWindows10を見据えて、約1ヵ月の間は久しぶりにWindows7でいくかと考えた。
 
 しかし、セットアップするとおかしなことに無線LANどころか有線LANもつながらない。
 再度セットアップするがやはり同じ。
 もしかしたら、ルーターがWindows7より新しいからドライバーを入れなきゃダメかと思ってCDを入れてみたがそうでもないらしい。

 しかたない、それならWindows8 を入れてみるか。
 入れる前には膨大なWindows7 のファイルのダウンロードも覚悟したが、なんとすんなりWindows8が入ってしまった。
 しかも、これによりLANも解決。

 それなら、もしかしたらと思ってWindows8.1 を落とそうとしたら、こちらはダメだった。
 このまま初期Windows8 を更新せずに使おうかとも思ったのだが、やはり、再審にしておきたいと思ってしまう。
 結果、数時間かけてファイルを更新するとWindows8.1が欲しくなる。

 ということで結果Windows8.1になったしまった。

 さて、Windows10 はどうするか。
 この時点で、OS投入後にその他アプリケーションを入れたり、設定をしたりと苦労したので、再度1ヵ月後に面倒な設定はしたくない。

 とりあえず、無償ダウンロードにするか。

50インチ 壁掛けだぜ!2015/06/22 12:37

 ずっと以前、寝室のテレビなどは見られればいいと、アナログ15インチを買った。
 これをデジタルに買い替える時 、ベッドから距離が近く、32インチじゃ大きいかなと思ったものだが設置してみるとそうでもなかった。

 去年の引っ越しのころから、テレビも買い替えたいものだと思っていたのだが、32インチが小さく感じていたので、ここは60インチを考えていた。
 
 3Dなしの2Kなら非常に安い。ソニーで13万程度のものがあった。
 しかし、ダラダラとしていたら、これが徐々に値上がりをしていく。15万から場合によっては17万をうろつくようになる。
 ソニーは安い部類の後継機を出す気もないらしく、在庫がなくなり値段も上がるという状況だ。

 そうであれば60インチは諦めるか、ということでパナソニックの50インチに目をつけた。
 発売はやはり去年の春。もう生産は終わっている。
 今年1月には後継機的なものが出ているが、チューナーが1個しかない。重要なスペックがダウンしている。

 ということで、去年春発売の機種はTH-50AS630に決定。
 PCボンバーが価格com最安値の81,000円をついていた。

 パナソニックも安い機種はスペックダウンの方向にいっているならば今これを買うしかない。おそらく今後上がる。
 2週間前注文した。


 品物は2日後には到着したが、しばらく開封はできなかった。
 今回の配置は据え置きではなく壁掛けであるためだ。
 家を建てるときにテレビを壁掛けするんだと言って、壁の裏に板を入れてもらっている。予定通りこれが役にたつときがきた。
 
 そしてようやく昨日、その作業をした。

 問題はひとつ、テレビを高いところに置くと天井の蛍光灯が映り込まないかだった。しかし、15度下向き傾斜ができる壁掛け金具で下に何とかなるかと思った。
 もし、それでも映り込むようであれば、基本電気を消すということも考えたが最大の15度傾斜でクリアした。

 そして結果思ったこと。
 まだ小さい。

ガストでチーズインハンバーグ2015/06/23 12:42

 日替わりでも食べようかと思ってガストに行くと、チーズインハンバーグ祭り。
 ランチメニューをめくってみるとエビフライなんかがついたハンバーグが799円。
 これに、ライス&飲み放題スープの Aセットが199円。

 ちょうど店員も来たのでパパッとこれで発注。
 
 料理が来るまで暇なので、一緒に置いてあったチーズインハンバーグ祭りメニューを見ると、あれ、100円引きで699円!
 再度、ランチメニューを見ても同じものだ。

 なんだ、こっちで頼んだほうが安いじゃないかと思うと、Aセットが299円。

 総額一緒じゃん!

 これ、あり?

 料理が来た後レシートを見てみる。
 僕はあくまでも、799円+199円を頼んだんだぞ!

 だが、このセットの商品コードが一緒なのだろう。
 レシートには699円と299円と書いてあった。

白内障とは!2015/06/26 21:20

 使い捨てコンタクトレンズはいつも1年分購入する。
 最近若干ゆるくなっているようだが、基本的に1年分も買ってしまうと、次に買うときは眼科の診療が必要になる。

 そろそろ底をついてきたので今日は新宿の眼科まで診察に行った。

 左目は若干視力が落ちたのではないかと、多少老眼が進んでいるのを感じるが特に問題はない。
 右目に至っては、生まれたときからまともに使っていない状況で失明してもいい状態なのだが、数年前から何かモヤッとしていた。
 網膜剥離の手術を2回もした目であるので、何かあってもおかしくない。全く気になっていないといえばうそになるが、対して気にしてはいなかった。

 年に1度の眼科は左目の異常を発見するにはちょうどいい。

 ところが今日、医者は右目を見て白内障がかなりきていると言った。
 白内障? 事前の用紙に書いた網膜剥離の間違いか?
 「ハク、ナイ、ショウ ですか?」 
 聞き返したらそうだという。

 しかしカルテを見て、右目を使ってないがわかると、特に問題はないという。
 こちらのほうが白内障なら手術とか、薬とかというと、手術をしても光は感じるようになるでしょうが、この状態だと特に勧めるものではありませんという。

 どうせ、昔から使っていないのだからということらしい。

 しかしまぁ、老人でもないのに白内障になっているとは。
 帰り際、白内障の小冊子が置いてあったので持ってきたが、見ると手術もずいぶん乱暴だ。

記憶というものは…2015/06/30 21:29

 柴田錬三郎の小説に「チャンスは三度ある」というものがある。
 
 かなり昔、宮下氏の紹介により読んだ本だ。
 詳しいことはほぼ覚えていなかったが、小説の最後は「チャンスは三度ありにけり」と書かれていたことだけは明確に覚えていた。

 時代劇小説ばかりを書いている柴田錬三郎にとっては異色の現代小説だ。しかし、現代といっても、書かれた年は丸ノ内線が銀座まで開通したという年であり、これは1958年だ。

 台東区の図書館webページで検索したら、驚いたことに置いてあったので借りてみることにした。
 さすが図書館である。
 
 わずかな記憶であらすじをたどると、一度事業に失敗した主人公が、何かの拍子で拾われ、それなりに大きい事業を任されて成功する。しかし、何かの事情でその事業を外されるのだが、誰かがチャンスは三度あると、それなりの金をくれるという程度の覚えがあった。
 

 今回読み返してみると、ずいぶん人物の相関関係に偶然が多い。いくら小説とはいえ、こんなに登場人物を結び付けていいのかと思う。まるで世界がこの人たちだけで形成されているようである。
 そして、記憶では何かの事業を任された感があったが、実際は新しく池袋にできるデパートの宣伝部長であった。

 あ、サラリーマンだったの、という感じである。宣伝活動の予算を1億円使えるというだけのものだったか。
 しかも、大プロジェクトではなく、デパートの開店の話か。

 主人公がバリバリと仕事をする様子が書かれていたように思ったのだが、仕事のことなどほとんど書かれておらず、登場人物に関することが多く書かれていた。

 その最たるものが幸薄な女性の話である。
 作者はなんと、小説の中で、
 「そのたたかいを、ここに記すのは、この物語の主題からはずれることになるだろう」 としながら、
 「最も不幸な、惨めな者の為に、作者が、敢えて一生を一章を作るということは決して無意味ではないだろう」と書き、
 「デパート開店の物語のかげに、消し去られてはならない---と、作者は思うのである」と結んで、この女性の為の章「ひとつの生涯」が語られていく。

 もう一度言う。小説の中にこんなことが書かれているのだ。

 自分の小説なのだから書きたいことを書けばいいのだが、本来書くべきではないがどうしても書きたいと作者自身の中で葛藤があったのか。あるいは、評論家の批判をかわすために、小説の中でこんなことを書いているのか。

 葛藤の結果書くのならいいが、評論家の批判をかわすためならみっともないことである。

 僕としてはこの小説は決して「デパートの開店の物語」ではなく、様々な人間模様を描いたものだから、「最も不幸な」女性のことを書くのは「無意味ではない」どころか意味があることと思う。

 批判めいたことを書いたが、数十年たって読み返しても面白い小説であるし、古さは感じさせなかった。


 さて、驚いたのは最後の一行。
 「チャンスは三度ありにけり」と数十年思っていた最終行が、「チャンスは、三度び御座候」と書かれている。

 なんと! である。
 そうで御座ったか。


 そして、もうひとつ。最後の最後にもう一度驚かされてしまった。
 巻末の解説を書いたのは沢木耕太郎だった。
http://www.ne.jp/asahi/copa/ribu/b log